鬼キャプテンのその後

東京姉水会60周年に寄せて

demon captain

鬼キャプテンのその後

東京姉水会60周年に寄せて

DEMON CAPTAIN

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鬼キャプテンのその後~東京姉水会60周年に寄せて

鬼キャプテンサムネ

東京姉水会60周年記念文集(2013年)より

東京姉水会が60周年を迎えられたこと、心からお慶び申し上げます。私は、仕事の関係で全国を転勤で回っていますが、2年前に東京に来て東京姉水会に参加させていただきました。毎年の集いでは、懐かしい湖北の言葉に触れ、鮒ずしを食べることができるなど故郷に帰ったような思いを抱き、元気をもらうような気がしています。

その中で、虎高時代に属した野球部の仲間たちに会えるのは何よりの楽しみです。私は、虎高硬式野球部が復活(昭和49年)した後の2期生で、技術や経験が乏しい中で、強くなるためにとにかく厳しい練習をしました。主将だった私は、後輩を叱ることも多く、怖かったようです。今も、東京姉水会や野球部の同窓会で後輩に会うと、「いや、キャプテンは本当に怖かった」「浅見さんの名前を聞くと、今でも思わず背筋がピンと立ちます。」と言われることがあります。草創期のチームにありがちな気負いが前面に出ていて、皆に迷惑をかけたのではないかと反省させられます。

そんな「鬼キャプテン」だった私も、大学卒業後、法律家の道に入り、普通に結婚し子供ができました。当然ながら、子育ては、「鬼キャプテン」のようにはできません。いろいろ工夫しましたが、そのうち子育てが気に入ってしまい、今はやりの「イクメン」(育児をする男性(メンズ))のはしりとなりました。着替え、洗濯、おしめ代え、ミルクやり、食事の準備、保育園の送迎、風呂入れ、添い寝など何でもやりました。子供が病気になった時が一番大変でしたが、共働きの妻と協力して何とか乗り越えました。ただ、仕事の関係で、別居になるときが一番難渋しました。大阪の堺から宮崎に転勤が決まったときは、子供が5歳と1歳で、果たしてどうするか悩みました。いろいろ条件を考え、私が2人の子供と「子連れ単身赴任」をし、大阪で働く妻が、週末に宮崎に通う道を選びました。それからが特に大変で、上記のような通常の育児のほかに、保育園や学校の行事への参加、検診や予防接種などを平日1人でこなさなければならずてんてこ舞いでした。共働きのため時間が足りないので,子どものための支出は惜しまず、出費が多かったと思います。予想外は、3年目に3人目が生まれたことです。妻に母乳が出ず、2人も3人も同じと思い、ミルクで私が宮崎で育てました。1人で、ゼロ歳児を風呂に入れるのは本当に大変でした。家で夜遅くまで仕事することも度々でしたが、野球で鍛えた体力のおかげで何とか乗り切りました。

この話を野球部の後輩にすると、「先輩、昔と随分違いますやんか。私ら、そんな優しくされたことありませんで」「何でそんなに変わったんですか」と言われます。「いやいや、状況に合わせていくのは大人の知恵だから」などと煙に巻くのが通常ですが、後輩は昔の「鬼キャプテン」との落差をとても感じるようです。

でも、この「イクメン」体験は、私の仕事にとても役立っています。私の仕事は裁判をすることですが、この仕事にはおそらく法律を適用する厳格なイメージがあると思います。刑事裁判では特にそうでしょう。しかし、裁判の対象は実はとても人間臭いもので、人間の家庭生活、社会生活や経済活動等がすべて俎上に上ります。法律だけで判断できるものではなく、世の中の理解がとても大事なのです。家庭生活のことは、離婚事件が典型でしょうね。親権や面会交流などの判断には「イクメン」体験が直接生きますし、学校が絡む事件などでも子育ての経験がとても役立ちます。

「イクメン」に代表される男女の役割分担の問題だけでなく、昔のイメージや制度を変えざるを得ないことは世の中に山ほどあるようです。実は東京姉水会も、今、大変身のさなかにあるようです。かつては参加者に年配の方が多かったと仄聞しますが、現在は、現役の大学生を含め若い人が随分見受けられます。これは、若い理事を増やし、その理事に学年幹事を兼務してもらい、若い世代からも参加者が増えるようにしているためのようです。おかげで、東京姉水会の発展が目に見えるようです。各世代の人が集まると、刺激も増え、参加の意欲も高まります。この動きがさらに広がることを心から願っています。やはり変化は大事で、昔の「鬼キャプテン」のままではいられませんよ、ホント・・・。

(東京姉水会60周年記念文集〔2013年〕所収)
東京姉水会は,関東近郊に居住・勤務する滋賀県立虎姫高等学校の卒業生による同窓会組織

DEMON CAPTAIN

鬼キャプテンのその後
東京姉水会60周年に寄せて

鬼キャプテンサムネ

東京姉水会60周年記念文集
(2013年)より

東京姉水会が60周年を迎えられたこと、心からお慶び申し上げます。私は、仕事の関係で全国を転勤で回っていますが、2年前に東京に来て東京姉水会に参加させていただきました。毎年の集いでは、懐かしい湖北の言葉に触れ、鮒ずしを食べることができるなど故郷に帰ったような思いを抱き、元気をもらうような気がしています。

その中で、虎高時代に属した野球部の仲間たちに会えるのは何よりの楽しみです。私は、虎高硬式野球部が復活(昭和49年)した後の2期生で、技術や経験が乏しい中で、強くなるためにとにかく厳しい練習をしました。主将だった私は、後輩を叱ることも多く、怖かったようです。今も、東京姉水会や野球部の同窓会で後輩に会うと、「いや、キャプテンは本当に怖かった」「浅見さんの名前を聞くと、今でも思わず背筋がピンと立ちます。」と言われることがあります。草創期のチームにありがちな気負いが前面に出ていて、皆に迷惑をかけたのではないかと反省させられます。

そんな「鬼キャプテン」だった私も、大学卒業後、法律家の道に入り、普通に結婚し子供ができました。当然ながら、子育ては、「鬼キャプテン」のようにはできません。いろいろ工夫しましたが、そのうち子育てが気に入ってしまい、今はやりの「イクメン」(育児をする男性(メンズ))のはしりとなりました。着替え、洗濯、おしめ代え、ミルクやり、食事の準備、保育園の送迎、風呂入れ、添い寝など何でもやりました。子供が病気になった時が一番大変でしたが、共働きの妻と協力して何とか乗り越えました。ただ、仕事の関係で、別居になるときが一番難渋しました。大阪の堺から宮崎に転勤が決まったときは、子供が5歳と1歳で、果たしてどうするか悩みました。いろいろ条件を考え、私が2人の子供と「子連れ単身赴任」をし、大阪で働く妻が、週末に宮崎に通う道を選びました。それからが特に大変で、上記のような通常の育児のほかに、保育園や学校の行事への参加、検診や予防接種などを平日1人でこなさなければならずてんてこ舞いでした。共働きのため時間が足りないので,子どものための支出は惜しまず、出費が多かったと思います。予想外は、3年目に3人目が生まれたことです。妻に母乳が出ず、2人も3人も同じと思い、ミルクで私が宮崎で育てました。1人で、ゼロ歳児を風呂に入れるのは本当に大変でした。家で夜遅くまで仕事することも度々でしたが、野球で鍛えた体力のおかげで何とか乗り切りました。

この話を野球部の後輩にすると、「先輩、昔と随分違いますやんか。私ら、そんな優しくされたことありませんで」「何でそんなに変わったんですか」と言われます。「いやいや、状況に合わせていくのは大人の知恵だから」などと煙に巻くのが通常ですが、後輩は昔の「鬼キャプテン」との落差をとても感じるようです。

でも、この「イクメン」体験は、私の仕事にとても役立っています。私の仕事は裁判をすることですが、この仕事にはおそらく法律を適用する厳格なイメージがあると思います。刑事裁判では特にそうでしょう。しかし、裁判の対象は実はとても人間臭いもので、人間の家庭生活、社会生活や経済活動等がすべて俎上に上ります。法律だけで判断できるものではなく、世の中の理解がとても大事なのです。家庭生活のことは、離婚事件が典型でしょうね。親権や面会交流などの判断には「イクメン」体験が直接生きますし、学校が絡む事件などでも子育ての経験がとても役立ちます。

「イクメン」に代表される男女の役割分担の問題だけでなく、昔のイメージや制度を変えざるを得ないことは世の中に山ほどあるようです。実は東京姉水会も、今、大変身のさなかにあるようです。かつては参加者に年配の方が多かったと仄聞しますが、現在は、現役の大学生を含め若い人が随分見受けられます。これは、若い理事を増やし、その理事に学年幹事を兼務してもらい、若い世代からも参加者が増えるようにしているためのようです。おかげで、東京姉水会の発展が目に見えるようです。各世代の人が集まると、刺激も増え、参加の意欲も高まります。この動きがさらに広がることを心から願っています。やはり変化は大事で、昔の「鬼キャプテン」のままではいられませんよ、ホント・・・。

(東京姉水会60周年記念文集〔2013年〕所収)
東京姉水会は,関東近郊に居住・勤務する滋賀県立虎姫高等学校の卒業生による同窓会組織